銅製の小さな印章。背面には小さなつまみと、ひもを通すための穴がある。
写真左は縦2.3cm、横0.8cm、高さ0.6cm今帰仁城跡の外郭から出土。印面には、なにやら文字らしいものが書かれているが不明。写真右は縦横ともに2cmの方形、高さ0.6cmの小さな印章。今帰仁城跡内の志慶真門郭から出土したもので、印面には花押が刻まれる。
銅製の小さな印章。背面には小さなつまみと、ひもを通すための穴がある。
写真左は縦2.3cm、横0.8cm、高さ0.6cm今帰仁城跡の外郭から出土。印面には、なにやら文字らしいものが書かれているが不明。写真右は縦横ともに2cmの方形、高さ0.6cmの小さな印章。今帰仁城跡内の志慶真門郭から出土したもので、印面には花押が刻まれる。
ジュゴンの骨でつくった弓矢の鏃。ジュゴンの骨は重厚でずっしりとした質感が特徴。しかし、なぜ鉄が普及しているのにも関わらず骨で鏃をつくったのだろうか?
幾つかの説がある。一つ紹介すると、皮でつくった鎧は、鉄はなかなか刺さらないが、骨でつくった鏃は比較的通しやすい為に、骨製の鏃もあったのではないかという説がある。
鉄製の鎌は、短い刃に柄をつけて使ったと考えられている。上の写真は出土品で、保存処理の為に少し濡れたような質感になっている。下の写真は八重山諸島の民具で粟を収穫する際に使う鎌で、恐らくこのように使われたと考えられる。
石でできた錘で、網の錘か、釣りの錘かは定かではない。5から6cmの小さな錘で、石の表面に溝を彫ってこの溝を使って紐をかけ固定したと考えられる。
明かりを灯す際には燃料(油等)を皿に入れ、そこに紐をつけて点火し明かりをとったと考えらる。実際に使われていた事を示すように皿の口の部分が煤けている。
明時代に中国景徳鎮窯で生産された染付の碗。
青い色はコバルトで絵付けされたもので、いろいろな文様が描かれる。
白色の小さなお皿。口縁に刻みを入れ、上から見ると菊の花のように見えることから、菊花皿と呼ばれる。
今帰仁城跡主郭では酒会壺と呼ばれる青磁の大きな壺が約40個体くらい出土している。その中でも7層から出土した優品で、均整のとれた形と胴部に廻らされた鎬文(縦じま)が美しい。
今帰仁城跡ではトラの歯が出土しました。歴史文化センターに入ってすぐのロビーに展示されています。諸説ありますが、歯しか出ていないので、虎皮などの敷物として王城を飾っていたと考えられている。
大きな壺で、中国で製作されたと考えられるが、窯跡は特定されていない。沖縄のグスクでは最も多く出土する壺の一つ。おそらく容器として運ばれたと考えられるが、中味がなんであったのはか不明である。
青みの濃い瑠璃色の碗で、均整のとれた優れた作品である。城内でも主郭で多く出土する高級食器。
鶴の形をした水注で、類品が豊見城市のノロ家に保管されている。鴨形の水注は、今帰仁村の中城家で保管されたものが知られている。16世紀頃の本州日本の遺跡からも出土例が報告されている。
写真上段は今帰仁城跡出土品
写真下段は中城ノロ家の伝世品
明時代に中国福建省の窯でつくられた黒い茶碗。
名称の由来は、日本の僧が中国浙江省天目山地方から茶碗として持ち帰ったことに由来するという。
明時代に中国で鋳造された銅銭。今帰仁城跡の発掘調査では洪武通寶・永楽通寶が最も多く出土している。中国の文献には洪武(1368-)・永楽(1408-)年間に多くの朝貢貿易を行っていることからも史実を伺える資料として注目される。
(直径23cm、厚さ0.2cm、重さ1.5g。ほか)
この時代になると、沖縄でもガラスでつくった装飾品が出土する。小さな玉を連ねて首飾りにしたり、服を飾ったり、装身具として使われたと考えられる。
直径0.2cm前後。
沖縄の海に生息するジュゴンの骨を加工した製品で。
賽子で表裏面の和は7で現在の賽子と変わらない。
長さ1.1cm、幅1.1cm、高さ1.1cm、重さ2.8g
沖縄の海は亜熱帯の海でたくさんの種類の貝が生息している。この貝を海から採って食料とました。
今帰仁城跡の城内外では出土する貝に相違点がみられることから、階層上位、下位によって異なった食卓であったことが想像できる。
四角柱に加工された石で、紐を通して腰に提げ携行した砥石と考えられます。中国への輸出品の品目として「磨刀石」というのがでてきますが、本品のような提砥のことと想定されています。
長さ14.3cm、幅2.1cm、厚さ1.4cm、重さ100g。
沖縄の海で産出するヤコウガイの貝殻を用いてつくられた匙。
長さ7.7cm、幅3.5cm、重さ13.5g。
鎧などを飾ったと考えられる金物の一つで金メッキされた金物に毛彫りなどによって装飾される。製作地は不明だが、地元で製作されたものと考えられる。
刀の金物の一つで柄の端部、もしくは鞘の端部を飾る金物と考えられる。製作地は不明だが、地元で製作されたものと考えられる。
防具に用いた鉄製の小札(こざね)。
地元で製作されたものと考えられ、小さな板状の鉄製品をたくさん繋げて鎧にこしらえた。
沖縄でも中世に入ると地域首長が群雄割拠し戦乱を繰り返していたと考えられる。この際に用いた武器に弓矢があった。これは地元で製作された鉄製の鏃(やじり)である。
高麗時代に韓国で生産された象眼青磁。
口径10.2cm、高さ4.3cm、底6.5cm。
ベトナムで生産された色絵の合子。
(口径7.3cm、高さ4.4cm、底径4.4cm。)
ベトナムで生産された染付の酒会壺、胴部に雲竜文を描いた良品である。
口径15.1cm、高さ(推定)19cm。
タイのノイ川周辺の窯で生産された褐釉陶器。沖縄の15-16世紀の遺跡からは良く出土する。
口径18cm、高さ(推定)66.0cm、底径(推定)26.5cm。
日本の備前で生産された擂り鉢。
口径25cm、高さ10.4cm、底径11.5cm。
明時代に中国で生産された褐釉陶器の壺。
口径9.4cm、高さ15.1cm、径11.0cm。
元(末)から明(初)時代に中国景徳鎮窯で生産された染付の壺。
口径3.7cm、高さ5.2cm、底径3.5cm。
中国元明時代に中国福建省(ショウ武窯四都窯)で生産された粗製の白磁杯。15世紀ころの時代の層から多く出土する。
(口径16.8cm、高さ5.5cm、底径6.2cm。)
中国元明時代に中国福建省(連江県)で生産された粗製の白磁碗。
沖縄では一般的に今帰仁でよく出土することから今帰仁タイプと呼ばれている。
(口径16.8cm、高さ5.5cm、底径6.2cm。)
明時代(14世紀後半から15世紀頃)に中国浙江省龍泉窯で生産された青磁碗・皿。
(碗:口径16.2cm、高さ7.5cm、皿:底径6.3cm。口径11.8cm、高さ3.7cm、底径5.0cm。)